「妊娠が分かったので、抗うつ薬をやめた方がいいでしょうか」
SSRIを服用している方から、よく尋ねられることです。
赤ちゃんへの影響を心配するのは自然なことです。薬を飲まない方が安全に見え、「まず中止してから相談しよう」と考える方もいます。
ただし、妊娠中の治療では、薬を使う危険だけを考えることはできません。薬を中止した後にうつ病が再発する危険、十分に治療されないうつ病が妊娠生活、出産、産後の養育へ及ぼす影響も、同じように考える必要があります。
2026年8月、『JAMA Psychiatry』に「妊娠中のうつ病とSSRI治療――母体のメンタルヘルスを優先する」というレビュー論文が掲載されました。
今回の論文は、何を伝えているのでしょうか
この論文は、新しい薬を試した臨床試験ではありません。周産期精神医学、小児医学、産婦人科学、薬剤疫学の専門家4人が、これまでの研究を整理した臨床的なレビューです。
論文によると、米国では妊娠中の方の約12%に大うつ病性障害がみられ、5〜6%が主にうつ病の治療としてSSRIを使用しています。また、精神疾患は妊産婦の重い健康被害や死亡に関わる主要な原因の一つです。
著者らの中心的な主張は、これまでの研究が「SSRIを使う危険」に比べて「SSRIで適切に治療する利益」を十分に評価してこなかったこと、そして現在の蓄積された研究からは、病気そのものの影響をできるだけ分けて考えると、SSRIによる重大な有害転帰のリスクは小さいか、認められないものが多いということです。
比べるのは、「薬のリスク」と「何もしないこと」ではありません
薬を服用しない状態は、何の影響もないゼロの状態に見えます。しかし、比較すべきなのは、
- SSRIを使用して、うつ病を治療する場合薬による可能性のある影響と、症状や再発を抑える利益があります。
- SSRIを中止または使用せず、うつ病が残る場合再発、希死念慮、睡眠や食事の悪化、受診や生活の維持が難しくなる可能性があります。
という二つです。
軽症で、心理療法や生活支援によって安定を保てる方もいます。一方、重症または再発を繰り返してきた方では、薬を中止すること自体が大きな危険になることがあります。
妊娠中のうつ病も、治療が必要な病気です
妊娠中は身体の変化、つわり、睡眠の乱れ、仕事や家族の負担、出産への不安などが重なります。「妊娠しているのだから気分が不安定でも仕方がない」と見過ごされることがありますが、大うつ病性障害は妊娠中にも起こります。
うつ病が悪化すると、食事や睡眠が保てない、産科の受診を続けにくい、自分を傷つけたい気持ちが出る、仕事や家庭生活を維持できないといった問題につながります。産後うつ病への備えも必要になります。
母体の健康は、胎児の健康と対立するものではありません。母体の病状を安定させることも、妊娠と出産を安全に支える治療の一部です。
抗うつ薬を中止すると、特に重症・反復性のうつ病では再発しやすくなります
過去に大うつ病性障害があり、妊娠前には抗うつ薬で安定していた201人を追跡した研究では、妊娠中も薬を継続した方の再発は26%、中止した方では68%でした。ただし、これは無作為化試験ではなく、精神疾患の周産期診療を専門とする施設へ集まった方の研究です。すべての妊婦へ同じ数字を当てはめることはできません。
その後の系統的レビューでは、中止した方全体で再発が明確に増えるとは統計学的に断定できませんでした。しかし、重症または再発性のうつ病が多い研究に限ると、中止後の再発リスクは有意に高く、継続群の約2.3倍でした。軽症・中等症が中心の研究では明確な差は確認されませんでした。
「妊娠中は続けた方がよい」「全員やめてもよい」のどちらでもなく、これまでの重症度、再発回数、中止時の経過、心理療法や支援の有無によって判断が変わります。
妊娠中の薬の研究が難しい理由――薬と病気の影響が重なります
妊娠中の薬について、健康な妊婦を無作為に薬の使用群と非使用群へ割り付ける試験は、倫理的・現実的に困難です。そのため、多くの安全性情報は診療記録や出生登録を用いた観察研究から得られます。
ここで問題になるのが、適応による交絡です。
SSRIを服用する方は、服用しない方より、もともとのうつ病や不安症が重い可能性があります。喫煙、飲酒、睡眠、身体疾患、他の薬、受診状況なども異なることがあります。出生転帰に差が見つかっても、それが薬の影響なのか、病気や生活背景の影響なのかを完全に分けることは難しいのです。
このため、単純な「服用した人」と「服用しなかった人」の比較だけでなく、うつ病のある人に対象を限定する、重症度を調整する、同じ母親から生まれたきょうだいを比べる、といった研究が重視されます。
先天異常――SSRI全体で大きな増加を示す証拠はありません
約95万人の妊娠を調べた米国の大規模研究では、妊娠初期のSSRI使用と心奇形の関係は、単純に比較すると相対リスク1.25でした。しかし、うつ病のある方に限定し、病気の重症度や背景因子を調整すると1.06となり、統計学的に明確な増加ではなくなりました。
この結果は、最初に見えたリスクの一部が、薬そのものではなく、うつ病や関連する背景によって説明される可能性を示しています。
ただし、「どのSSRIを、いつ、どの量で使っても同じ」「リスクは完全にゼロ」という意味ではありません。薬剤ごとのデータ、妊娠週数、併用薬、母体の身体疾患を確認します。
妊娠後期の使用では、新生児の適応症状に注意します
妊娠後期までSSRIを使用した場合、出生後の赤ちゃんに、呼吸が速い、震え、落ち着かなさ、筋緊張の変化、哺乳しにくい、低血糖などがみられることがあります。薬への曝露がなくなった後の変化や、セロトニン作用などが関係すると考えられています。
多くは一時的ですが、呼吸や哺乳の状態によっては観察や治療が必要です。2026年に報告されたフィンランドの約127万件の出生を用いた研究でも、うつ病の指標を調整した後に、SSRI使用群では新生児の呼吸の問題、5分後の低いApgarスコア、新生児治療室での治療が多いという関連が残りました。一方、重大な先天異常の増加は認められませんでした。
このため、産科と出産施設へ服用薬を共有し、出生後に必要な観察ができるようにします。
新生児遷延性肺高血圧症――関連はありますが、絶対数は小さいものです
新生児遷延性肺高血圧症(PPHN)は、出生後も肺の血流が十分に切り替わらず、重い呼吸障害を起こす病気です。
北欧5か国の研究では、妊娠20週以降にSSRIへ曝露した赤ちゃんで、PPHNは1000人あたり約3人、背景では1000人あたり約1.2人でした。別のメタ解析でも、妊娠後期のSSRI曝露との関連が報告されています。
相対的には増えていても、起こる絶対数は少ない副作用です。PPHNだけを理由に一律に薬を中止するのではなく、うつ病再発の危険と合わせて判断します。
自閉スペクトラム症やADHDとの因果関係は、確認されていません
妊娠中の抗うつ薬使用と、子どもの自閉スペクトラム症やADHDとの関連を報告した観察研究があります。しかし、母親に気分障害がある人だけで比較した研究や、曝露の異なるきょうだいを比較した研究では、明確な関連がみられなくなることが多くあります。
抗うつ薬を妊娠前に使っていた場合や、父親が使っていた場合にも似た関連がみられる研究があり、遺伝的背景、親の精神疾患、生活環境、診断を受ける機会などの交絡が考えられます。
現在の研究から、妊娠中のSSRI使用が子どものASDやADHDを直接引き起こすと結論づけることはできません。
どの薬を選ぶかは、「妊娠中に一般的な薬」だけでは決めません
妊娠前から一つの薬で安定していた方では、妊娠した後に別の薬へ切り替えると、症状が再燃したり、新しい副作用が出たり、複数の薬へ曝露することになったりします。十分に効果があり、これまでの安全性情報が蓄積している薬なら、継続が適切なことがあります。
初めて薬物療法を始める場合は、症状、既往歴、薬の安全性情報、将来の授乳、本人の希望などをもとに選びます。海外のガイドラインでは、過去の有効薬がない場合、セルトラリンやエスシタロプラムが選択肢として挙げられることがあります。ただし、国内で使える薬、承認内容、個人の体質は別に確認が必要です。
「少量なら安全だから」と、症状が残る量に下げ続けることが最善とは限りません。必要な治療効果が得られる用量と、安全性の両方を見ます。
自己判断で急に中止しないでください
SSRIを急に中止すると、めまい、吐き気、電気が走るような感覚、不眠、不安、いらだちなどの中止症状が起こることがあります。うつ病や不安症の再発と区別しにくい場合もあります。
妊娠が分かった時点で、まず処方医と産婦人科へ連絡してください。継続、段階的な減量、心理療法を中心にする、薬を変更するなどを、病歴に合わせて検討します。
出産直前に一律に減量すれば新生児症状を防げる、という単純なものでもありません。母体の再発や産後の悪化も含め、出産後まで続く計画を立てます。
診察では、何を確認して決めるのでしょうか
- これまでの重症度希死念慮、入院、食事や睡眠の破綻、仕事や家庭生活への影響を確認します。
- 再発歴何回再発したか、過去に減量・中止した時にどうなったかを確認します。
- 薬の効果現在の薬でどの程度安定しているか、他の薬で失敗した経験があるかを見ます。
- 妊娠週数と身体状態妊娠の時期、産科的リスク、併用薬、飲酒・喫煙などを確認します。
- 薬以外の支援心理療法、家族の支援、仕事量の調整、睡眠と生活を整える環境があるかを見ます。
- 産後の計画産後うつ病の予防、授乳、睡眠確保、家族や支援者との連携まで考えます。
早めに相談してほしい状態があります
眠れない日が続く、食事や水分を取れない、強い不安や焦りで生活できない、自分を傷つけたい・消えたい気持ちがある場合は、次回予約を待たず、精神科・産婦人科へ相談してください。
過去に躁状態、産後精神病、双極症を指摘されたことがある場合や、眠らなくても平気になる、考えや行動が止まらない、現実と違うことを強く信じるといった変化がある場合も、抗うつ薬だけで対応せず、早急な評価が必要です。
今すぐ自分や周囲の安全を保てない場合は、119番または最寄りの救急外来を利用してください。
まとめ
2026年の『JAMA Psychiatry』のレビューは、妊娠中のうつ病治療について、薬によるリスクだけでなく、うつ病を十分に治療しないリスクと治療による利益を重視するよう提案しています。
背景因子を丁寧に調整した研究では、SSRIによる重大な先天異常や長期の神経発達への大きな影響は、明確でないものが多くあります。一方、妊娠後期の使用では、新生児の一時的な適応症状や、絶対数は少ないもののPPHNとの関連が報告されています。
重症または再発性のうつ病では、中止によって再発しやすくなるため、妊娠したことだけを理由に薬をやめることは安全とは限りません。軽症で安定している方では、心理療法や支援を整えながら減量を検討できる場合もあります。
妊娠中のSSRI治療には、全員に共通する正解はありません。母体と赤ちゃんを別々に考えるのではなく、病気の重症度、薬の効果、分かっているリスク、薬以外の支援、産後までの見通しを一緒に確認して決めることが大切です。
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参考資料
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本記事は一般的な医学情報の提供を目的としており、個別の診断や処方変更に代わるものではありません。妊娠を希望している場合、妊娠が分かった場合、授乳を予定している場合は、自己判断で薬を中止せず、処方医と産婦人科へご相談ください。

