こころの仕組み26
――人が足りない時もあれば、「自分を出せる場所」が足りない時もある
「一人でいるのがつらい」。そう言う人がいます。でも、よく聞いてみると、本当に一人で暮らしている人もいれば、家族と暮らしている人もいる。職場では毎日たくさんの人と話し、友人や恋人がいる人もいます。それでも、「自分は一人だ」と感じることがあります。
逆に、一人暮らしで、休日もほとんど誰にも会わない。それでも「特にさみしくないです」という人もいます。つまり、さみしさと孤立は、似ているようで少し違います。
「孤立」は、人との接点が少ない状態
家族と疎遠になった。友人とも会わない。仕事を辞めて、人と話す機会がなくなった。外出も減り、一日誰とも話さないことが増えた。こうした、現実に人との接点が少なくなっている状態を、ここでは孤立と考えてみます。
これは、本人がさみしいかどうかとは別です。一人の時間が好きな人なら、人との接触が少なくても、それほど苦しくないことがあります。
「さみしさ」は、人との距離をどう感じているか
一方で、さみしさは、人が何人いるかだけでは決まりません。話せる人はいる。でも、本当に困っていることは言えない。家族はいる。でも、分かってもらえない。恋人はいる。でも、いつも嫌われないように気を遣っている。そんな時にも、人はさみしくなります。
さみしさは、「人がいない」というより、「つながりたい形でつながれていない」時に出てくることがあります。
人に囲まれているのに、さみしいことがある
職場では明るい。よく話す。相談にも乗る。周囲からは「コミュニケーションが得意な人」と思われている。でも、自分がつらい時には誰にも言えない。弱音を吐くと、「面倒な人だと思われる」と感じる。だから、いつも元気な自分でいる。
すると、人との関係はあるのに、本当にしんどい自分だけが、誰ともつながっていないということがあります。
「役に立つ自分」しか、人とつながれていない
人に頼られる。相談される。仕事を任される。その時は、自分が必要とされていると感じる。でも、自分が疲れて何もできない時、急に「自分なんていなくてもいいのでは」と思う。ここでは、つながりが、「自分が役に立っている時だけ成立するもの」になっていることがあります。
そのため、休むとさみしい。人から頼られなくなると不安になる。誰かの役に立とうとする。また疲れる、という循環ができます。
「人がいない」のではなく、「自分を出せない」ことがある
人間関係はある。でも、嫌なことを嫌と言えない。失敗を見せられない。困っていると言えない。弱い自分を見せられない。すると、周囲が知っているのは、自分が見せても大丈夫だと思っている部分だけになります。
そして、「誰も本当の自分を分かってくれない」となる。けれど、少し厳密に言えば、「分かってもらえない」だけでなく、分かってもらうために必要な部分を、まだ出せていないこともあります。
もちろん、出しても安全ではない相手もいます。誰にでも本音を話せばよい、ということではありません。
さみしさは、「つながりが必要」という感情
不安が「安全は大丈夫?」と教えてくれるように、怒りが「境界線を越えられていない?」と教えてくれるように、さみしさも何かを伝えています。それは、「今、自分にはつながりが足りない」というサインかもしれません。
だから、さみしさ自体を「弱い」「依存的」と考えなくてもよいと思います。人が人を求めるのは、自然なことです。
ただし、さみしさは「誰でもいいから近づけ」という命令ではない
さみしくなると、以前傷つけられた人に連絡したくなる。もう終わった恋人に戻りたくなる。都合のよい時だけ連絡してくる人でも、「一人よりはまし」と思う。これは、その人が本当に必要なのではなく、今の孤独感から早く逃れたいことがあります。
さみしさが強い時には、「誰かに会いたい」と、「この人に会うことが自分にとってよい」を分けた方がよいことがあります。
「誰かに会いたい」の奥に、何を求めているか
誰かと話したい。自分のことを分かってほしい。安心したい。触れ合いたい。必要とされたい。一人ではないと感じたい。さみしさの中で何を求めているかによって、必要な行動は変わります。ただ人に会えばよいとは限りません。
友達と会ったのに、帰るともっとさみしい
楽しく食事をした。たくさん話した。その場では笑っていた。でも家に帰ると、急に虚しくなる。もしかすると、欲しかったのは「人と話すこと」ではなく、「自分のことを分かってもらうこと」だったのかもしれません。
楽しい時間と、深いつながりは同じではありません。どちらも大切ですが、役割が違います。
「誰にも分かってもらえない」には、二つの可能性がある
一つは、本当に周囲が理解してくれない場合です。否定される。話しても軽く扱われる。そういう環境なら、「もっと心を開きましょう」ではなく、話す相手を変える必要があります。
もう一つは、「分かってもらえないのが怖くて、そもそも話せない」場合です。こちらでは、信頼できる相手に、少しずつ出していく経験が必要になることがあります。同じ「孤独」でも、対応は違います。
孤立が長くなると、人に近づくこと自体が難しくなる
最初は、一人が楽だった。仕事や人間関係に疲れ、しばらく誰にも会わないと落ち着いた。でも、長くなると、人に連絡すること自体が面倒になる。「今さら何て言えばいいんだろう」と思う。会う約束をするだけで疲れる。さらに孤立する。
つまり、孤立には、孤立を深める方向の力が働くことがあります。
「元気になってから人に会おう」とすると、ずっと会えないことがある
落ち込んでいる。こんな状態で人に会っても楽しくない。元気になったら連絡しよう。そう思う。でも、人と会わないことで、さらに気分が落ちる。活動も減り、自信もなくなる。すると、ますます会いづらくなります。
回復してから人に戻るのではなく、回復の途中から、少しずつ人との接点を戻す方がよいことがあります。
ただし、「人に会えば治る」わけでもない
孤立している人に、「もっと外に出ましょう」「友達を作りましょう」と言っても、簡単ではありません。人間関係そのものに疲れている。対人不安が強い。抑うつ状態で気力がない。過去に傷ついた経験がある。いろいろな事情があります。
いきなり「友達を作る」を目標にしなくても構いません。コンビニで少し会話する。職場へ短時間行く。習い事へ行く。オンラインで趣味の話をする。顔を知っている人が一人増える。深いつながりの前に、薄いつながりを戻す。これも十分意味があります。
人には、「深いつながり」だけでなく「薄いつながり」も必要
親友、恋人、家族のような深い関係は大切です。でも、それだけがつながりではありません。よく行く店の人。同じ趣味の人。職場で雑談する人。たまに連絡する昔の友人。こうした、少し遠い関係も、人の孤立を和らげます。
すべての人に、自分の深い話をする必要はありません。
一人の人に、孤独の全部を背負わせない
恋人ができて、話し相手、相談相手、安心できる人、遊ぶ相手、困った時に頼る人の全部がその人になる。すると、返信が遅いだけで大きく揺れます。「この人を失ったら、自分には誰もいない」となる。
これは愛情が深いからだけではなく、つながりが一か所に集中しすぎていることがあります。人とのつながりには、少し分散があってよいと思います。
「一人でいられる人」は、人を必要としない人ではない
自立している人というと、「誰にも頼らない人」を想像しやすい。でも、そうとは限りません。一人でいられる。必要なら人にも近づける。頼ることもできる。また一人にも戻れる。この行き来ができる。
自立とは、人を必要としなくなることではなく、人との距離を選べることなのだと思います。
さみしさをゼロにしようとすると、人にしがみつきやすくなる
さみしくて、誰かに連絡する。返事が来て少し安心する。でも、まださみしい。また連絡し、もっと安心させてほしくなる。こうなると、相手が「さみしさを消すための薬」のようになります。
けれど、人は他人のさみしさを完全には消せません。目標は、「さみしくない状態」ではなく、「さみしさがあっても自分を見失わない状態」くらいでよいことがあります。
さみしい時に、大きな決断をしない
さみしい夜。退職した直後。別れた直後。人間関係で傷ついた直後。こういう時、「やっぱりあの人に戻ろう」「誰でもいいから付き合おう」「全部捨てよう」と考えることがあります。さみしさは、今の感情を、人生全体の結論に変えやすい。
さみしい時の感情は大切にする。でも、大きな決定は少し待つ。これはかなり実用的です。
「自分は孤独だ」と感じた時に、一度分けてみる
本当に人がいないのか。人はいるけれど、弱音を言えないのか。特定の人を失ったからさみしいのか。役割がなくなって孤独なのか。仕事を辞めて人との接点そのものが減ったのか。誰にも必要とされていないと感じているのか。
少し違うだけで、対応も変わります。
孤立は、こころだけの問題にしない
引っ越した。退職した。育児や介護で外との接点がなくなった。病気で外出できない。経済的に人と会う余裕がない。こういう時、孤立には、現実的な理由があります。
「考え方を変えましょう」だけでは解決しません。人との接点を作る。社会資源を使う。仕事以外の居場所を探す。オンラインも利用する。生活そのものを調整する。現実に人が足りないなら、現実のつながりを増やすことが必要です。
長く続く孤立では、「助けを求める力」自体が落ちることがある
人と話さない。相談しない。一人で考える。それが長く続くと、「この程度で連絡していいのかな」「迷惑ではないかな」「何から話せばいいか分からない」となります。
だから、孤立している人ほど、「困ったら相談してください」だけでは相談できないことがあります。小さな接点を定期的に持つ。相談する理由がなくてもつながっておく。こういう仕組みが役に立ちます。
さみしさの中には、「喪失」があることもある
人間関係が終わった。家族を失った。退職した。以前の自分ではなくなった。そこには、単なる孤立だけでなく、喪失があります。この場合、新しい友人を作れば、すぐ埋まるわけではありません。
失った人は、別の人では完全には置き換えられない。失った仕事、役割、生活も同じです。さみしさをすべて、「人を増やせば解決する問題」にしないことも大切です。
「誰かがいれば大丈夫」でも、「一人で大丈夫」でもない
どちらか一方にしなくてよいと思います。人は人を必要とします。同時に、誰かがいない時間もあります。人に近づくこともできる。人から離れることもできる。頼れる。断れる。自分の弱いところも少し出せる。そして、一人になった瞬間に、自分まで消えてしまわない。そんな幅を持つことです。
さみしさと孤立で、一番大切にしたいこと
「さみしい」という言葉の中には、いろいろな意味があります。誰かに会いたい。分かってほしい。安心したい。必要とされたい。以前の関係を失って悲しい。今の自分を見せられる場所がない。現実に人との接点がない。
だから、さみしさを感じた時、すぐ「もっと一人で強くならなければ」とも、「誰かを見つけなければ」とも考えなくてよい。まず、「今、自分にはどんなつながりが足りないんだろう」と考えてみます。
深く話せる人なのか。ただ一緒に過ごせる人なのか。軽く挨拶できる場所なのか。助けを求められる相手なのか。あるいは、誰かではなく、失ったものを悲しむ時間なのか。
さみしさは、人を求める感情です。でも、誰にでも近づけばよいという意味ではありません。孤立は、一人でいる状態です。でも、一人だから必ず不幸という意味でもありません。
大切なのは、「一人でいたい時には一人でいられる。つながりたい時には、つながりに行ける。」その両方を持つことです。
人に囲まれているのに孤独なら、人の数ではなく、自分のどの部分が、まだ誰ともつながれていないのかを見てみる。人が少なすぎるなら、現実の接点を少し増やす。弱い自分だけ隠しているなら、安全な相手に少しだけ見せてみる。一人の人に全部を求めているなら、つながりを少し分散する。
さみしさを完全になくすことより、さみしさが何を求めているのか分かること。孤立を恥じることより、必要な時にもう一度、人との間に橋をかけられること。それが、さみしさと孤立を扱ううえで大切なのだと思います。
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本記事は一般的な心理教育を目的としたもので、個別の診断や治療に代わるものではありません。孤立や気分の落ち込みが続き、仕事や生活に支障がある場合、または自分の安全を保つことが難しい場合は、医療機関や地域の相談窓口へご相談ください。

