「自分はASDなのではないか」
大人になってから、そう考える方が増えています。
人付き合いがうまくいかない。予定の変更がとても苦手。音や光で疲れやすい。周囲に合わせ続けると、家に帰ってから動けなくなる。SNSや本でASDの特徴を読み、「これまでの生きづらさに初めて説明がついた」と感じる方もいます。
一方、2026年8月、長年自閉症研究に携わってきた認知神経科学者Uta Frithは、「自閉スペクトラム症は意味を失い、誤診につながっているのではないか」という、かなり強い題名の論考を『Psychological Medicine』に発表しました。
この題名だけを見ると、「成人になって診断されたASDは本物ではない」と言われたように感じるかもしれません。しかし、論文が投げかけている問題は、もう少し複雑です。
まず押さえたいのは、これは臨床試験ではなく「論考」です
この論文には、治療群と対照群も、新たに集めた患者さんもいません。過去の診断基準、疫学研究、遺伝研究、文化の変化などをもとに、著者が現在のASD概念を再検討したエッセイ形式の論文です。
したがって、この論文だけから「成人のASD診断の何%が誤診である」「診断基準をこのように変えるべきだ」と結論づけることはできません。
ただし、ASDの概念がどこまでを含むのか、診断が増えた理由をどう考えるのか、診断後に本当に必要な支援へつながっているのかは、診療上とても重要な問いです。
ASDの診断概念は、実際に広がってきました
自閉症が米国精神医学会の診断分類に独立した診断として登場したのはDSM-IIIの時代です。その後、診断基準は変化し、DSM-IVではアスペルガー障害が加わり、DSM-5では複数の診断が「自閉スペクトラム症」にまとめられました。
現在の診断では、知的能力や言語能力にかかわらず、社会的コミュニケーションの持続的な難しさと、限定された反復的な行動・関心・感覚特性などを評価します。特性は発達早期から存在していても、周囲から求められることが本人の対処能力を超えるまで、問題がはっきりしない場合があります。
これは、以前なら見落とされていた方が適切な理解や支援へつながるようになった、という大切な前進でもあります。
同時に、対象が広がるほど、同じ診断名の中の違いも大きくなります。幼少期から言語や知的発達を含む大きな支援が必要だった人と、就職や昇進、家庭生活の複雑化によって初めて困難が顕在化した人を、同じ「スペクトラム」の言葉でどこまで説明できるのか。ここがFrithの問題意識です。
「44倍に増えた」は、ASDそのものが44倍になったという意味ではありません
論文では、英国の古い小児調査で自閉症の有病率が1万人あたり4人、近年の英国の学童データでは57人に1人とされ、単純に比べると約44倍になったことが紹介されています。
ただし、異なる時代の異なる方法による調査を比べた数字です。診断基準の拡大、認知度の向上、支援制度、受診行動、診断サービスへのアクセス、記録方法などが変わっているため、「生物学的な自閉症が44倍に増えた」ことを示す数字ではありません。
診断が増えたことには、見落とされていた人が見つかるようになった面と、診断の境界が変化した面の両方が含まれます。その割合を、この論文だけから決めることはできません。
早期診断と後期診断では、平均的な発達経過と遺伝的背景に違いがありました
Frithが重視した根拠の一つが、2025年に『Nature』へ掲載された大規模研究です。
この研究では、複数の出生コホートを用いて、早く診断される群では幼少期から社会性・コミュニケーションの難しさが目立ちやすく、遅く診断される群では思春期にかけて社会情緒面や行動上の困難が増えやすいという、異なる平均的な軌跡が示されました。
また、ASDに関連する共通遺伝変異を解析すると、二つの遺伝的因子の相関は0.38でした。一方は早期診断や幼少期の社会・コミュニケーション能力と関係し、もう一方は後期診断やADHD、うつ病、PTSDなどの精神疾患との遺伝的な重なりが強いという結果でした。診断年齢の個人差のうち、共通遺伝変異で説明されたのは約11%です。
これは、「診断される時期の違いは、単に発見が早かったか遅かったかだけではない可能性」を示す重要な研究です。
しかし、「違いがある」ことは「後期診断は誤診」の証明ではありません
集団を平均すると違いが見つかっても、一人ひとりを二つの型へ明確に分けられるとは限りません。遺伝的因子が異なることも、現在の診断基準を満たしていないことを意味しません。
また、診断が遅れる理由には、本人の特性だけでなく、性別、家庭や学校の環境、求められる役割、周囲の理解、医療へのアクセス、知的能力や言語能力など、多くの要因があります。特性を補う工夫によって幼少期には目立ちにくく、要求が複雑になる思春期や成人期に困難が表面化する方もいます。
この研究が示したのは、ASDの中に発達経過や遺伝的背景の異なるまとまりがある可能性です。「遅く診断された人はASDではない」という結論ではありません。
「マスキング」は大切な情報ですが、何でも説明できる言葉にはしません
マスキング、あるいはカモフラージュとは、周囲に合わせるために、表情、視線、話し方、振る舞いなどを意識的・無意識的に調整し、困難を外から見えにくくすることを指します。
本人が相当な負担を払って適応している場合、診察室で短時間話せたことや、学校・職場へ通えていたことだけで、困難がないとは言えません。マスキングの情報は、これまで見落とされやすかった方を理解するうえで重要です。
一方、対人場面で気を遣う、演じているように感じる、帰宅後に疲れ切るという経験は、ASDだけに起きるものではありません。社交不安、うつ病、ADHD、トラウマ関連症状、強迫症、職場でのハラスメント、過剰な仕事量などでも生じます。
したがって、「マスキングしていたから外からは分からない」という説明だけで診断を確定するのではなく、幼少期からの発達経過、ASDに特徴的な二つの領域、生活上の支障、別の説明の可能性を一緒に検討します。
診断名によって、長年の自己否定が軽くなることがあります
大人になってASDと診断された方が、「怠けていたのではなかった」「努力不足ではなかった」「なぜ同じ場面で何度も苦しくなったのか分かった」と感じることがあります。
診断名は、それまでばらばらに見えていた経験を整理し、自分を責める以外の見方を与えることがあります。必要な配慮や支援を相談するための共通言語にもなります。この働きを、軽く扱うべきではありません。
ただし、「ASDだから全部こうなる」と説明し始めると、睡眠不足、抑うつ、不安、職場環境、人間関係、これまで身につけた対処法など、変えられる要因が見えにくくなることがあります。
診療では、「見落とさないこと」と「当てはめすぎないこと」の両方が必要です
ASDを見落とすと、本人に合わない努力を求め続けたり、うつ病や不安症の治療だけを繰り返したりして、根本的な困りごとが残ることがあります。
反対に、現在のつらさをすべてASDへ当てはめると、本来治療できる不安症、うつ病、PTSD、睡眠障害などを見逃したり、環境によって生じた問題を本人の変わらない特性として扱ったりするおそれがあります。
さらに、ASDと他の疾患は二者択一ではありません。ASDがあり、同時にADHDやうつ病、不安症がある方もいます。大切なのは、診断名を一つに絞ることではなく、現在の困難を生み出している要素を分け、それぞれに必要な支援や治療を置くことです。
成人のASD評価では、質問票の点数だけでなく全体像を確認します
NICEの成人ASDガイドラインでは、包括的な評価として、専門性のある医療者による評価、可能であれば家族などからの情報や学校記録、幼少期から続く中核的な特性、家庭・学校・職場での機能、現在と過去の身体・精神疾患、他の神経発達症、感覚特性、直接観察などを挙げています。
質問票は、評価を受けるきっかけや情報整理には役立ちます。しかし、点数だけで診断するものではありません。逆に、家族へ確認できない、通知表が残っていないという理由だけで、ASDを否定するものでもありません。得られる情報の範囲で、発達経過と現在の特徴が一貫しているかを丁寧に考えます。
- いつからあったか現在のつらさだけでなく、幼少期からどのような特徴や工夫があったかを確認します。
- どの場面で起きるか家庭、学校、職場、親しい関係など、複数の状況での現れ方を見ます。
- 何に困っているか診断名より先に、会話、予定変更、感覚刺激、仕事の段取り、疲労などを具体化します。
- ほかの説明はあるかADHD、うつ病、不安症、強迫症、PTSD、睡眠や身体の問題、環境要因を確認します。
- 診断後に何が変わるか自己理解、治療、合理的配慮、生活上の工夫など、評価の目的を共有します。
診断がつくかどうかと、支援が必要かどうかは完全には同じではありません
診断基準を満たすなら、診断を曖昧にする必要はありません。しかし、基準を満たさなかったからといって、困りごとまで存在しなくなるわけでもありません。
音や光への配慮、口頭指示の文章化、予定変更の予告、仕事量の調整、休息の確保、対人場面での具体的な練習などは、診断名の有無だけで機械的に決めるものではありません。
Frithの論考の中で、臨床的に最も大切だと感じるのは、診断名を守るか壊すかではなく、その人の苦痛と生活上の支障の原因を具体的にし、必要な支援を個別に組み立てるべきだという点です。
この論文を、どう読めばよいのでしょうか
この論文は、現在ASDと診断されている人を一括して疑うために使うべきものではありません。特に「社会的流行」「自己診断」「マスキング」といった議論は、本人の経験を矮小化したり、必要な評価を受けにくくしたりする危険もあります。
一方で、診断名が広く知られるようになった時代だからこそ、「特徴がいくつ当てはまるか」だけでなく、「発達のどの時点から、どの領域に、どの程度の支障が続いているか」「ほかの病気や環境でよりよく説明できないか」を確認する必要があります。
この論文は、ASDの診断を減らすための答えというより、診断を終点にせず、診断の中身とその後の支援をもっと精密にするための問いとして読むのがよいと思います。
まとめ
Uta Frithの論考は、自閉スペクトラム症という診断概念が広がり、幼少期に診断される群と、思春期・成人期に診断される群の違いが大きくなっていることを問題にしました。
背景には、診断基準とその運用、認知度、神経多様性、自己理解、マスキング、SNSなど、複数の要因があると著者は論じています。ただし、これらが診断増加をどの程度引き起こしたかを検証した研究ではなく、後期診断を誤診と証明した論文でもありません。
早期診断と後期診断で、平均的な発達経過や遺伝的背景が異なるという研究はあります。これはASDの多様性を理解する重要な手がかりですが、個人の診断を否定する検査には使えません。
診断で大切なのは、「ASDか、ASDではないか」だけを急いで決めることではありません。発達歴、現在の困りごと、併存症、環境、必要な支援を具体的にし、診断名が実際の生活を良くするために働いているかを見ることです。
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参考資料
- Frith U. Autism spectrum disorder: has it lost its meaning and is it leading to misdiagnosis? Psychol Med. 2026;56:e240. PubMed / 本文
- Zhang X, et al. Polygenic and developmental profiles of autism differ by age at diagnosis. Nature. 2025;646:1146-1155. PubMed
- National Institute for Health and Care Excellence. Autism spectrum disorder in adults: diagnosis and management (CG142). Updated 2021. NICE
- World Health Organization. Clinical descriptions and diagnostic requirements for ICD-11 mental, behavioural and neurodevelopmental disorders. 2024. WHO
本記事は一般的な医学情報の提供を目的としており、個別の診断に代わるものではありません。ASDが疑われる場合は、質問票やSNS上の情報だけで自己判断せず、発達歴、現在の生活上の支障、併存する症状を含めて専門家へご相談ください。

