DEPRESSION & LIFE EXPERIENCES

うつ病のリスクは、子どもの頃だけで決まらない

コラム

うつ状態で受診された方から、「子どもの頃のことが原因でしょうか」「過去を詳しく話さないと治療できませんか」と聞かれることがあります。

幼少期のつらい体験が、その後のこころの健康と関係することは知られています。しかし、うつ病を一つの出来事だけで説明することはできません。生まれ持った要因、現在の生活、身体の状態、睡眠、周囲の支えなど、多くの要素が重なります。

今回取り上げる研究は、幼少期だけでなく、成人してからの逆境体験にも目を向けた点が特徴です。2025年7月にオンライン公開されたThe British Journal of Psychiatryの論文から、分かったことと、結果を読む際の注意点を整理します。

過去の体験は、うつ病の「運命」を決めるものではありません。この研究が示したのは集団の中での関連です。一人の発症理由を特定したり、将来の発症を予言したりする結果ではありません。

11万8,164人のデータで、人生の時期を分けて検討

研究チームは、UK Biobankに参加した、研究開始時点でうつ病の既往がない11万8,164人を対象にしました。2016年のオンライン精神健康質問票から、幼少期のトラウマと成人後の逆境体験を評価し、その後のうつ病発症との関連を統計的に調べています。

質問された逆境体験には、主に身体的・感情的な虐待やネグレクト、性的虐待などが含まれました。日常的な仕事の忙しさや、一般的な職場ストレスをそのまま測った研究ではない点には注意が必要です。

幼少期だけでなく、成人後の体験にも関連がみられた

年齢や生活習慣など複数の要因を調整した解析では、逆境体験が少ない群と比べ、次のような関連が示されました。

  1. 幼少期のトラウマが多い群うつ病の発症リスクは、早期成人期でハザード比2.35、中年期で1.86でした。
  2. 成人後の逆境体験が多い群中年期のうつ病発症リスクは、ハザード比2.71でした。
  3. 人生全体で両者を比べた解析幼少期のみ高い群はハザード比1.80、成人後のみ高い群は1.74で、両者の差は統計的に明確ではありませんでした。

この結果は、「幼少期の体験だけが重要で、成人後の出来事は付け足しにすぎない」という見方では不十分な可能性を示しています。成人後に受けた深い傷つきも、こころの健康を考えるうえで無視できません。

ただし、「幼少期と成人後の影響は、どの人でもまったく同じ」という意味ではありません。今回の対象、評価項目、解析方法の中で、生涯のうつ病リスクとの関連の大きさに明確な差がなかった、という結果です。

ハザード比2.35は「2.35倍の人が発症する」ではありません

ハザード比は、観察期間中のある時点で発症する速さを群同士で比べた相対的な指標です。ハザード比2.35という数字は、「体験した人の235%がうつ病になる」「一人ひとりの発症確率が必ず2.35倍になる」という意味ではありません。

もともとの発症率が示されなければ、個人の絶対的な確率は分かりません。また、同じような体験があっても、受け止め方、時期、長さ、安全な人間関係の有無、現在の環境などによって影響は異なります。

研究の数字は、苦しさの重さを証明する点数でもありません。体験が少なく見えても深く傷つくことはあり、体験が多くても必ず病気になるわけではありません。

この研究だけでは分からないこと

大規模な研究である一方、結論をそのまま個人へ当てはめないために、次の限界を押さえる必要があります。

  • 因果関係を証明した研究ではありません。逆境体験とうつ病発症に関連があっても、体験だけが直接の原因だとは断定できません。
  • 体験は後から質問票で回答されています。記憶の残り方や、その時の心理状態が回答へ影響する可能性があります。
  • UK Biobank参加者の研究です。英国の一般人口全体や、日本で暮らす一人ひとりへ同じ数値をそのまま当てはめることはできません。
  • 日常的な仕事のストレスを直接調べた研究ではありません。残業、異動、業務過多などの影響を、このハザード比で説明することはできません。
  • 治療の効果を比べた研究ではありません。どの治療が適しているかは、この結果だけでは決められません。

仕事の不調を、過去だけで説明しない

診療では、過去の体験を知ることが理解の助けになる場合があります。しかし、現在の不調を何でも過去へ結びつけると、いま変えられる条件を見落としてしまいます。

たとえば、眠れない、上司の連絡に強く身構える、注意されると必要以上に自分を責める、職場で安全だと分かっていても身体が緊張する。こうした反応には、過去の体験が関係していることもあります。一方で、現在の業務量、ハラスメント、睡眠不足、役割の曖昧さ、身体疾患やうつ病そのものが影響していることもあります。

大切なのは、「昔のせいか、今のせいか」を一つに決めることではありません。いま何が起きていて、何が負担を強め、どこなら調整できるかを具体的に見ることです。

受診時に、過去を無理に詳しく話す必要はありません

過去のつらい体験を思い出して話すこと自体が、大きな負担になる方もいます。初診から出来事を詳しく説明できなくても構いません。「過去に話しにくい体験がある」「その話題は今は避けたい」と伝えるだけでも、診療上の大切な情報になります。

まず確認したいのは、現在の睡眠、食事、気分、不安、安全性、仕事や生活への影響です。うつ病の治療、休養、生活や職場の調整を進め、安心して扱える状態になってから、必要に応じて過去の体験を考える方法もあります。

反対に、過去の記憶が繰り返しよみがえる、悪夢や強い警戒が続く、現実感が薄れるなどの症状がある場合は、そのことを主治医へ伝えてください。うつ病とは別の評価や、より専門的な支援が必要なことがあります。

過去を変えられなくても、今の支えは増やせる

この研究から受け取りたいのは、「つらい体験があったから将来もうつ病になる」という結論ではありません。幼少期だけでなく、成人後の体験にも目を向け、どの年代で起きたことでも支援の対象として扱う必要がある、ということです。

原因を一つに決めるより、現在の症状を治療し、負担を減らし、安全な関係や生活をつくることの方が実際的です。仕事を続けるか休むか、職場で何を調整するかも、病名や過去だけで一律には決まりません。

過去は、その人の一部ではあっても、その人の将来そのものではありません。いま困っていることから、一緒に整理していくことができます。

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論文情報

  1. Wang X, Duan T, Cao Z, Xu C. Childhood trauma and adulthood adverse experiences and risk of new-onset depression across the lifespan. The British Journal of Psychiatry. Published online July 7, 2025. 2026;229(2):149-155. doi:10.1192/bjp.2025.10301. PubMed / DOI

本記事は一般的な医学情報の提供を目的としており、個別の診断や治療に代わるものではありません。対象論文の結果は、集団における統計的な関連として記載しています。

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