神戸のポートタワーは、海のほうを見ると、
当たり前のように立っていて、
夜になれば赤く光って、
「今日もいるな」と思わせる存在です。
ただ、不思議なことに、
神戸の人ほど、あまり登ったことがありません。
観光客には定番でも、
地元の人にとっては「見ているもの」であって、
「行くもの」ではない。
精神科の外来をしていると、
これに少し似た話をよく聞きます。
「いつもあると思っていて」
「気にはしていたんですけど」
「あらためて向き合ったことはなくて」
話題は仕事だったり、家族だったり、自分の体調だったりします。
どれも日常に溶け込みすぎていて、
近すぎて、わざわざ登る発想がなかったものです。
ポートタワーも、
遠くから見る分には十分それらしくて、
高さも形も、だいたい把握した気になります。
でも実際に登ってみると、
見えていたはずの景色と、
中に入ってから見える景色は、少し違います。
精神科的に言えば、
これは「避けていた」というより、
近すぎて困りごとの対象になっていなかった状態に近いのだと思います。
人は、本当に困っていることほど、
「問題」として扱わないことがあります。
いつもそこにあるから。
慣れてしまっているから。
考え始めると、少し面倒そうだから。
神戸の人がポートタワーに登らないのも、
嫌いだからではありません。
怖いわけでも、興味がないわけでもない。
ただ、そこにあるのが当たり前すぎただけです。
外来でも、
「こんなことで相談していいのか分からなくて」
と前置きされる話ほど、
実は長く続いてきたものだったりします。
タワーに登る必要は、もちろんありません。
登らなくても、生活は回ります。
神戸は神戸のままです。
でも、
「登ってみようかな」と思える日が来たなら、
それはたぶん、
今まで見えていなかった景色を
少しだけ見てもいい状態になった、ということかもしれません。
精神科の診察も、
何かを無理に変える場所ではありません。
ただ、
いつも見ているものを、
別の高さから眺めてみる場所です。
神戸の人が、
いつかふと思い立ってポートタワーに登るように、
人もまた、
自分のことを少しだけ上から見てみる日が来る。
それだけで十分なことも、
案外多いのだと思います。

